家紋を考える②♪
①からのつづきです。お暇な方はお付き合いください(爆)ありがとうございます。
藤紋だけでも100種類以上もございます。平安の昔より1000年以上の歴史を経て素晴らしい意匠が今に受け継げられているという事は、どんなにすごい事かわかりますでしょうか?
平安の昔より
【家紋】を高く掲げて、人々は生活し、あるいは晴れの日を祝ったのでしょう。また
【家紋】の旗の下で、戦(いくさ)を繰り広げ、軍功をたて勝利を祝った事でしょう。
ご先祖様より生命・霊魂を受け継いだ私たちは、さらに子孫にそれを伝えて、再び大地に帰って行くわけですが、1000年以上の長きにわたり
【家紋】が果たしてきた役割は、まことに大きかったといえましょう。
日本の【家紋】は、このように姓氏あるいは地名と密接な関係を持ちながら発達し、家族・同族のものが、家柄・家格あるいは本家分家・宗家と別家を表す表象として活用されました。
平安時代・貴族社会の中で誕生した紋章は、特に9世紀初頭に『新撰姓氏録』が編纂されてから、各姓氏の家紋が登場しました。藤原氏を中心とした公卿・貴族たちは、朝廷に参内する為に乗る牛車の屋形に文様を施し、これが鎌倉時代に【家紋】として定着したといわれます。
あなたの街の牛車型やその他の屋台にも【家紋】=【社紋】をあしらった品物(提燈や御簾・彫金等に…)がございませんか?あるとすればそれは平安の昔からの名残なのです。
源氏や平氏の武士たちの紋章も、旗や幕の印、楯紋などの戦場での目印に使われたものが、次第に【家紋】に転じ、武家社会では【一族郎党】という血縁共同体の統一と結合の象徴となりました。
これが室町時代になると、公家・武家が【家紋】を乱用するようになり、15世紀後期の文明年間では他家の紋を勝手に使用する事が禁止されています。
江戸時代には、【家紋】は下級武士や、町民まで使うようになり、さらに一般化し、冠婚葬祭という「晴れの行事」の中で、衣装から調度品にわたるまで【紋付】が幅をきかせています。
明治時代になると、万民が名字を許され、【家紋】が乱用される時代になりましたが、それは少しでも家族を立派にしよう、家柄を大切にしたい、あるいは新しい家族の象徴としたいという願望のあらわれであったともいえます。
戦後、核家族化時代を迎えて【家紋】が地盤沈下した感もありますが、むしろご先祖様の築いた文化の伝承、さらに自分たちの存在価値を後世に伝える証として、今後【家紋】の役割が期待されます。
子供を中心とした家族が成り立つ現在、その子が入園・入学する時、あるいは結婚する時には、【家紋】をつけた式服は必ず必要なものなのです。
あなたが【家紋】をつけた式服や祭り衣装・木札・調度品などを作る時に…
もう一度想い出して下さい…
「ご先祖様がいるから今の自分がいるんだ」
という単純な事を…
我が家でも…「おらん家の紋はなんだっけな?確か亡くなった親父が巴藤といってたっけな」
という事があるかも知れません…(爆)
あなたのご先祖様をルーツを知る手掛かりとして、あるいは今後の冠婚葬祭の中で…、新しい生活の中で大いに【家紋】をご活用ください♪
愛感謝
日本の家紋大全集より引用 本田總一郎
関連記事